八盲にゆかりのアスリートからのメッセージ

 このコーナーでは、八盲にゆかりのあるアスリートの方々の活躍を、いただいたメッセージと写真を通して御紹介します。今後、新たなメッセージが届き次第、順次掲載内容を追加していく予定です。
 番外編として、「八盲の運動会」と「盲学校kの部活動」を掲載しましたので、ぜひ御覧ください。

(番外編3) 盲学校の体育

(番外編2) 盲学校の部活動の紹介

(番外編1) 八盲の運動会


2017年10月31日掲載

山田智生さん(フロアバレーボール選手)

本校高等部で数学科の教員として勤務

(写真)サーブを打つ山田選手(2017年東京大会【日本一決定戦東京予選】にて)

紹介

 1988年生まれ。愛知県立名古屋盲学校盲学校小学部・中学部、筑波大学附属盲学校高等部普通科、京都府立盲学校専攻科普通科、青山学院大学理工学部物理・数理学科を経て、2011年より東京都立八王子盲学校高等部で数学科教諭として勤務。中学部1年の盲学校の部活動でフロアバレーボールと出会い、17年間続けている。現在は、八王子盲学校の生徒と教員で構成されるチーム「Eight Beat」の一員として、各種大会に出場している。視力は0.04(矯正0.08)、弱視。

メッセージ

1.競技との出会い

 私は小学校高学年からテレビゲームをきっかけにプロ野球にはまりました。学校では、視覚障害者スポーツであるグランドソフトボール(盲人野球)でよく遊ぶようになりました。中学生になったら部活でグランドソフトボールをするのが当時の夢でした。中学生になり念願の部活動が始まり、グランドソフトボールに打ち込みました。実際に競技としてやってみると確かに楽しいけれど、守備で視力という壁にぶつかりました。グランドソフトボールにおいて、弱視プレーヤーは通常の野球同様、ノーバウンドでフライを捕球しなければアウトにはなりません。私はゴロを捕ることはできましたが、フライをノーバウンドで捕ることは遠近感がないため難しい課題でした。
 名古屋盲学校の部活動は、グランドソフトボールだけではなく、陸上やフロアバレーボールなど様々な競技に取り組みました。このとき、初めてフロアバレーボールという競技を知りました。
 フロアバレーボールを初めてやったときは、ボールを上手に打つことができず、断然グランドソフトボール派でした。しかし、練習を重ねて強い球を打つことができるようになると、一気にフロアバレーボールの魅力に取りつかれました。単純に上達していったということもありますが、大きな理由の1つに自分の見え方と競技で必要な視力がマッチしていたということがあると思います。フロアバレーボールはその競技の特性上、ボールをネットの下を転がすため平面的になり、遠近感があまり必要ないのです。ゴールボール、STT、ブラインドサッカーなどの視覚障害者スポーツはありますが、どれも全員(ブラインドサッカーのキーパーを除く)がアイマスクまたはアイシェードをするという共通のルールがありました。グランドソフトボールとフロアバレーボールは、アイマスクやアイシェードで目隠しをする全盲プレーヤーと、視力を使ってプレーする弱視プレーヤーがあるのです。ちょっとでも自分の視力を使いたいと思っていた私にとって、これは大切なポイントでした。

2.フロアバレーボールの基本的なルール

 フロアバレーボールは、通常のバレーボールと同じコートで、床から30cmの高さにネットが張られています。ボールを打って転がし、ネットの下をくぐらせて、相手チームの守備を抜いたら得点になります。「転がす」と聞くと優しそうなイメージをもつかもしれませんが、大変激しい競技です。1チームは、前衛3人、後衛3人の計6人で、前衛選手はアイマスクやアイシェードで目隠しをしてプレーし、後衛選手は視力を使ってプレーします。ボールは、通常のバレーボールの5号球と同じ大きさで、天然皮革の白いバレーボールを使って行います。

3.これまでの活動歴

 中学部3年、東海地区盲学校フロアバレーボール大会2位。
 高等部普通科3年、関東地区盲学校フロアバレーボール大会優勝。
 京都府立盲学校専攻科普通科在籍時、近畿地区盲学校フロアバレーボール大会2位。
 大学に進学するタイミングで社会人チームに入り、「ブエノスアミーゴス」「OCEAN」に所属し、各大会に出場し、OCEANでは日本一決定戦4位になる。
 そして、現在は八王子盲学校の生徒と教員等で構成されるチーム「Eight Beat」で活動しており、日本一決定戦予選でもある東京大会をはじめとした様々な大会に出場しています。チーム結成3年目の今年は、東京大会で初めて勝利を掴み、2勝の末決勝で敗れ、2位となりました。

4.今後の抱負

 私たちのチームEight Beatも今年で結成3年。少しずつではありますが、着実にチーム力は向上してきました。当面の目標は、東京大会で優勝し日本一決定戦(各ブロックの代表チームが集まる全国大会)に出場することです。
 また、フロアバレーボールは競技を通してたくさんの人達と関わることができます。チーム内の交流はもちろん、いろいろな地域のチームと練習試合などを通してたくさん交流し、人間関係(つながり)を広げていけたらと考えています。

5.メッセージ(フロアバレーボールの魅力)

 フロアバレーボール最大の魅力は、視覚障害があってもなくても誰でも対等に戦えるスポーツだということです。ルールの特性上、ボールは基本的には転がるため、弱視の選手もそこまで視力を必要としないし、健常者も通常のスポーツのように視力を使ってプレーできます。一方、前衛に関しては目隠しをすることがルールなので、全盲の選手もそうでない人も目隠しさえすれば対等に戦えます。フロアバレーボールは、視覚障害の人が行う視覚障害者スポーツではなくて、視覚障害者と健常者が対等に楽しむことができるスポーツという新たな可能性をもっているのです。
 私が所属しているEight Beatでは、生徒(視覚障害者)と教員(健常者)が混ざって本気でぶつかり合います。中には、アイシェードをして前衛選手として大活躍する教員や前衛と後衛の両方をこなす教員もいます。
 フロアバレーボールは横浜市立盲学校の教員が考案した日本生まれのスポーツです。そのため、まだ世界ではあまり普及していません。日本国内でも、地域ごとにルールが異なるなどの理由から、なかなか全国規模での大会が実現しませんでした。しかし、近年ルールの統一化が進み、社会人の全国大会に続いて、平成29年8月には第1回の全国盲学校フロアバレーボール大会が開かれるに至りました。これを機にフロアバレーボールが広がり、競技人口が増えることが期待されます。
 いつの時代になるか分かりませんが、フロアバレーボールが世界へ広がり、世界大会が開かれたらいいなと思います。少しでもたくさんの人にフロアバレーボールの魅力を知ってもらい、盛り上げていけたらいいなと思っています。誰でもできるスポーツなので、いつの日かオリンピック種目も夢ではないかもしれないと、期待しています。

 日本フロアバレーボール連盟ホームページで試合動画を公開しています。フロアバレーボールに興味をもった方は、「フロアバレーボール連盟」で検索して御覧ください。


2017年9月29日掲載

黒田智成さん(ブラインドサッカー選手)

本校中学部で社会科の教員として勤務

(写真)八盲のグランドでドリブルする黒田選手

紹介

 1978年生まれ。熊本県立盲学校高等部普通科、久留米大学文学部人間学科、筑波大学大学院教育研究科を経て、2004年より東京都立八王子盲学校中学部で社会科教諭として勤務。2002年4月にブラインドサッカーと出会う。2002年5月に開催された日韓親善試合で、初めて結成された日本代表チームのメンバーとして大会に出場。これ以降、15年間日本代表として3回の世界選手権を含む多くの国際大会に出場。現在は、2020東京パラリンピックでのメダル獲得を目指して取り組んでいます。国内では、2005年に「たまハッサーズ」というクラブチームを立ち上げ、草の根の活動を継続しています。

メッセージ

1.競技との出会い

 私は小さいころから体を動かすことが大好きでした。特にボール遊びが好きで、当時流行っていた「キャプテン翼」というアニメにあこがれて、夢中になってボールを蹴って遊んでいました。
 6歳で失明した後も、「身体を動かしたい!」という思いは変わりませんでした。熊本県立盲学校在学中には、グランドソフトボールやフロアバレーボール、サウンドテーブルテニスや陸上競技、柔道など、様々な視覚障害スポーツを経験しました。
 ブラインドサッカーと出会ったのは、筑波大学大学院に在籍していた23歳のときでした。関東で初めて開催されたブラインドサッカーの講習会に参加し、一度でブラインドサッカーの魅力に取りつかれてしまいました。

2.ブラインドサッカーの基本的なルール

 ブラインドサッカーは、1チーム5名で行うフットサルに似たスポーツです。1名のゴールキーパーは、目が見える人が行います。4名のフィールドプレーヤーは、目隠しをしてプレーします。ボールには転がると「しゃかしゃか」という音がなる特別なボールを使用します。ゴールの裏には、「ガイド」と呼ばれるコーチが立ち、ゴールの位置やゴールまでの距離、ディフェンスの様子などについて声でガイドします。
 ボールの音や、相手の声、仲間の声、ガイドの声など、様々な「音」を状況に応じて聞き分けながら、ゴールを目指します。

3.これまでの活動歴

 私はブラインドサッカー日本代表として、2002年5月に開催された日韓親善試合に出場して以来、3度の世界選手権をはじめ様々な国際大会に出場してきました。
 また、国内では、八王子盲学校のグラウンドを中心に活動する「たまハッサーズ」というクラブチームを立ち上げ、仲間と共にブラインドサッカーを楽しみつつ、「ブラインドサッカーの可能性を追求する」ことを目指して活動を続けてきました。「たまハッサーズ」には、八盲の卒業生も4名ほど在籍しています。

4.今後の抱負

 教員の仕事とブラインドサッカーの活動の両立は、体力面においても、時間の面においてもなかなか大変です。しかし、この二つの面を擁立しているからこそ得られる喜びもたくさんあります。
 私の夢は、「世界1」になること。せっかく視覚障害者として生きているのであれば、その中の世界1になりたい。ブラインドサッカーで世界の強豪と戦って行く中で、私の中に芽生えてきた大きな夢です。その夢を実現するために、まずは2020年の東京パラリンピックに出場し、メダルを獲得することが、現在の目標です。
 そして、私が夢に向かって、世界を舞台に戦っている姿を生徒たちが身近に感じ、生徒立ち自身が大きな夢を持つきっかけになれば、本当に幸せなことです。
 『可能性は無限大』。今後も、ブラインドサッカーを通して、人間の可能性を追求して行きたいと思います。

5.メッセージ(ブラインドサッカーの魅力)

 私が感じるブラインドサッカーの魅力は、次の2点です。

 1.「自由」
 ブラインドサッカーのルールは、制限が最低限に抑えられています。プレー中の接触もありますし、転倒することもあります。しかし、フィールドの中は自由です。自由に考え、自由に動くことができる。フィールドで感じる自由さこそ、ブラインドサッカーの大きな魅力です。
 2.出会いの架け橋
 ブラインドサッカーを通して、様々な人々と出会うことができました。日本人だけでなく、外国の人たちも、障害のある人もない人も、様々な人々とサッカーを通して言葉を交わし、心を通わせてきました。ブラインドサッカーが、人と人とをつなぐ架け橋になってくれました。そして、私の世界を大きく広げてくれました。


2017年8月31日掲載

高橋しのぶさん(盲人マラソン選手)

本校中学部で英語科の教員として勤務

(写真)本校のプールで泳いでいる様子

紹介

 東京生まれ。幼児期に失明。平成19年より都立八王子盲学校に英語科教師として勤務。現在、中学部・高等部で英語を指導している。ランニング歴11年で、国際大会を含む数々のマラソン大会に参加。

メッセージ

1.マラソンとの出会い

 30代半ばでそれまで働いていた職場を退職し、教員採用試験に向けて勉強を始めました。退職と同時に一人暮らしも始め、不規則な生活と、人に会わない日々に疑問を感じるようになりました。以前から知っていた視覚障害者のマラソンクラブを思い出し、「社会性をなくさないために」と練習会に出かけたのが、ランニングを始めたきっかけです。それから10年以上も続けることになるとは、その時は全く思ってもいませんでした。

2.視覚障害者のマラソンについて

 視覚障害と言っても、見え方には個人差があり、走るときに必要な支援も異なります。全盲の私が走るには、一緒に走ってくれる伴走者と1mほどの長さのひもを輪にした伴走ロープを二人で持って走ります。二人で並んで走るので、狭い場所や混雑した道は不向きです。公園や川沿いのサイクリングロードなどをゆっくり走りながらいろいろな職業の伴走者とおしゃべりするのが楽しいです。知らない世界の話が聞けて、世界が広がります。1回の練習で15km程度走ります。私は普段は仕事が忙しく、週に1度、土・日に走る時間を取るのが精いっぱいです。練習は思いきり身体を動かす気分転換の機会であると同時に多くの人との出会いを楽しむ時間でもあります。

3.走歴

 初めて参加した大会は、平成18年5月に昭和記念公園で行われた「アキレスふれあいマラソン大会」で、5kmを走りました。この時の感想は、「自分としてはこれがマックス」でした。しかし5キロを完走すると周囲の方から次は10キロ、10キロを完走すれば次はハーフマラソン、次はフルマラソンとあおられ、だんだん距離が延びていきました。初めてのハーフマラソンは平成19年の宮古島ワイドーマラソン(現宮古島100kmワイドーマラソン)。初フルマラソンは平成20年、茨城県の「かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソン」(国際パラリンピック委員会公認)でした。
 大会参加は年に2〜3回で大会ごとに、楽しむ大会、タイムを狙う大会など、自分なりに区別して参加しています。今年は、「視覚障害者健康マラソン東京大会」(東京視覚障害者ランニングクラブ主催、10kmの部)や、長野県で行われた「小布施見にマラソン」(ハーフマラソン)に参加しています。
現在の所属クラブは二つあります。一つは「アキレストラッククラブジャパン」という、ニューヨークに本部を持つ国際的なクラブです。いくつかの国に支部があり、様々な障害者が走ることを通じて積極的に社会参加していくことを目指す団体です。
 もう一つは「バンバンクラブ(代々木公園伴走伴歩クラブ)」という国内のクラブです。代々木公園で活動する一人の伴走者が立ち上げ、会員は現在1300人ほど。視覚障害者以外にも、知的障害者や盲ろう者など、だれでも参加できるのが特徴です。

4.これからの抱負

 これまでの人生で唯一のフルマラソンでの結果は4時間40余分でした。ハーフマラソンは毎年走っていますが、2時間を切ることが、一生の夢です。この夢を実現するためには、もう少し練習時間が必要です。今後も心身の健康維持を第一に楽しく走りたいと思っています。できれば平日に短時間でも練習できるとうれしいです。

5.メッセージ

 最近はマラソンブームで市民ランナーが増えています。視覚障害者で「運動したい」と思う人にとって、走ることは気軽に試せるスポーツだと思います。運動したいけれど何をしていいか分からない人は、とりあえず走ることから始めてみませんか?自分に合った目標を設定して走ればいいのです。また、健常者で走っている人やボランティア活動に興味のある人は、伴走にチャレンジしてみませんか。新たな世界が広がることと思います。日常生活の中に新たな楽しみが加わることと思います。


2017年7月24日掲載

丸山功揚さん(水泳選手)

平成29年度より本校理療科実習助手として勤務

(写真)本校のプールで泳いでいる様子

紹介

 筑波大学附属視覚特別支援学校から、筑波大学理療科教員養成施設を経て、平成29年4月より、都立八王子盲学校理療科実習助手。学生時代より水泳に取り組み、現在でも各種大会に出場中。視力0.04、弱視。

メッセージ

1.競技との出会い

 幼い頃からから運動することが好きで、小学生の時にはスイミングや空手を習わせてもらっていました。視覚特別支援学校に入学したのは中学部からで、そこでブラインドスポーツと出会い、様々なスポーツにのめり込んでいきました。中でも水泳は、中学部3年間続けて水泳部に所属し、夏は日焼けで体が真っ黒になっていました。
 高等部に進学すると、学校の先生から、関東身体障碍者水泳連盟が開催している水泳大会出場を誘われ、初めて連盟登録やチーム所属を行ってスポーツ大会に参加することになりました。今までのスポーツの楽しみ方は「皆と楽しく体を動かす」というものだったのですが、水泳連盟主催の水泳大会は標準記録が設けられていて、標準記録を突破するとさらに大きな水泳大会に出場することができるため、「目標に向かって努力する」という楽しみ方を知ることとなりました。

2.視覚障害者の水泳競技について

 視覚障害者の水泳は3つのクラスに分けられています。視力0で、ブラックゴーグルという何も見えないゴーグルを使用する選手はS11。視力0,01〜0,03の選手はS12。私が属しているのは、視力0.03〜0.1のS13というクラスになります。S11とS12のクラスは、プールの壁に衝突しないように「タッピング」というものが認められており、釣竿のような長い棒の先に丸いスポンジが付いている「タッピング棒」というもので、ターンとゴールの時に頭を叩いて知らせてもらいます。それ以外は、健常者の水泳大会とあまり違いはないようです。

3.主な競技歴

 16歳で出場した東京2009アジアユースパラゲームスで100mバタフライ1位、21歳の時の第13回全国障害者スポーツ大会で50m自由形1位になることができました。自己ベストは、100mバタフライで1分27秒68、50m自由形で30秒29です。

4.現在の活動

 現在は、学生の時ほどは練習を行えていませんが、週に2日、一回の練習で2000m程度泳ぎながら練習を続けています。練習の拠点は東京都多摩障害者スポーツセンターです。
 毎年、関東身体障害者水泳選手権大会や日本身体障害者水泳選手権大会に参加させていただいています。大会では、自己ベストを更新することを目標にして、順位を一つでも上げようと取り組んでいます。

5.今後の抱負

 今後は、選手としてベストタイムを出し続けたいと考えています。また、視覚障害のある人たちに水泳を広めていきたいということも考えています。私が今まで感じてきたことを多く伝えていきたいと考えています。

6.メッセージ

水泳は、視覚障害・身体障害・聴覚障害・知的障害など様々な人たちが行うことのできる素晴らしい競技だと感じています。様々な人たちとの出会いや、一緒に合宿や大会に参加することによって分かち合う達成感など、多くの方に経験してもらえればと思います。


2017年6月27日掲載

若杉遥さん(ゴールボール選手)

平成23年度中学部卒

写真は、ゴールに向かってボールを投げている様子です。

一般社団法人全日本ゴールボール協会提供

紹介

 中学2年生の11月に八王子盲学校に転入してきました。点字の読み書きや、歩行の力を身につけ、部活動にも入部しました。受験勉強にも励み、高校は筑波大学附属視覚特別支援学校に進学しました。現在は、立教大学で社会学を学ぶ傍ら、ゴールボールの日本代表選手として活躍中です。

メッセージ

1.競技との出会い

 身体を動かすことが好きで、中学校1年生の時は陸上部に所属し、短距離を中心に取り組んでいました。また、学校以外の活動では、地域のジュニアアイスホッケーのチームに所属し、学校以外の友達と一緒にリンクの上で戦っていました。
 中学校2年生の秋に八王子盲学校に転入し、当時の体育の先生にゴールボールを紹介されたのがきっかけでゴールボールと出会いました。アイシェードを付けて動くことも初めての経験で、ルールや動き方などを少しずつ覚えていき、ゴールボールの魅力にどっぷりとはまっていきました。高校へ進学してからは、日本代表候補として、大会に出場するようになりました。

2.過去及び現在の競技生活の様子、主な結果

 現在は、大学4年生なので、卒業後の進路に向けて頑張っていきたいと思います。また、2020年東京パラリンピックで優勝することが目標です。そのために日々、練習を積んでいきたいと思います。

3.今後の抱負

 2012年のロンドンパラリンピックで優勝
 2016年のリオデジャネイロパラリンピックで5位
 現在は、日本代表候補として代表合宿に参加したり、クラブチームに所属したり、日々練習を積んでいます。

4.メッセージ

 八王子盲学校で視覚障害の世界を知りました。和やかな雰囲気と、熱心に指導してくださる先生方がいて、とてもアットホームな学校だと思います。
 私はこれからも、ゴールボールの練習を頑張っていきますので、応援よろしくお願いします。


2017年5月31日掲載

川嶋悠太さん(ゴールボール選手)

平成24年度高等部普通科卒業

写真は、敵からの攻撃をセーブしている様子です。

一般社団法人全日本ゴールボール協会提供

紹介

 川嶋さんは、中学部から高等部普通科まで6年間、八王子盲学校で学びました。
 現在は、アシックスジャパン株式会社という会社でヘルスキーパーの仕事をする傍らゴールボール日本代表候補選手として、国際的に活躍中です。リオデジャネイロパラリンピックに向けてのアジア予選では、主力として出場しました。

メッセージ

1.ゴールボールについて

 ゴールボールに出会ったのは、八盲在学中の中1の体育の授業でした。そこで大会等で負けて悔しくてどんどん勝てるように練習していきました。
 ゴールボールを始めた時はやっぱり痛いなぁって感じでした。まさかこんなに続けていくとは思わなかったです。
 ゴールボールを始めた頃と現在とで、競技への対し方は変わってきたように思います。
現在では、ボールを止めた時の嬉しさや、痛さよりも、勝敗にこだわる競技志向に変わってきています。
 ゴールボールの魅力は、練習した分だけボールを止められるようになったり、投げるスピードが速くすることができたりすることです。また、視覚障害者も晴眼者も同じ条件下の音だけの世界で試合ができることもあります。さらに、ゴールボールは体格で試合が決まるみたいに思われます。体格が小さくても練習量で体格差を覆せるというのも魅力だと思います。

2.思い出

 子どもの頃から運動は大好きでした。4歳から野球をやっていました。
 八盲に在学中は、ゴールボール、フロアバレー、サウンドテーブルテニス(STT)や、ブライドサッカーに取り組みました。その中でもやっぱりゴールボールが好きでしたね。
 今回、母校での特別講座に講師として参加し、自分のことを知っている先生がいらっしゃったので、その前で講師として話をすることはとても恥ずかしかったです。でも、自分が在籍していた時に一緒にいた人もいて、とても懐かしい気分になりました。(平成29年2月13日(月)に、川嶋選手をお迎えして特別授業を実施しました。)
 在学中好きな教科は体育でした。美術も好きでした。美術担当の先生が大好きでしたね。高等部での担任の先生は体育の先生でした。肝心な所で緊張しちゃう先生でしたが、とても良い先生でとても楽しかったです。
 好きな給食は揚げパンでした。単純に美味しかったです。うどんが好きなので揚げパンと山菜うどんの組み合わせは最高でした。

3.選手として

 現在は、仕事をしながらゴールボール選手として生活しています。10時から16時30分まで仕事をして、16時30分以降からチームでの練習に取り組んでいます。練習がない時は治療院やスポーツセンターに行って自主トレーニングをしています。だいたい23時ぐらいに帰宅し、サラダを食べて0時過ぎには寝るというのが1日のだいたいの流れです。
 3年後に迫った2020年東京パラリンピックは、地元開催ということで、注目されているというプレッシャーはありますが、必ずメダルを獲得しないといけないなと感じています。将来に向けては、もっとゴールボールを普及させていずれはゴールボールという競技をプロとしてできるような環境になってほしいという思いがあります。そのためにも2020年一生懸命頑張りますので、応援よろしくお願いします。


2017年4月14日掲載

写真は、2016年8月にポーランドで行われたIBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)テンピンボウリングシングルス世界選手権大会でプレーする高木選手の様子です。投球とは逆の左手でガイドレールに触れ、投球方向の確認を行っています。

一般社団法人全日本視覚障害者ボウリング協会提供

高木綾子さん(ブラインドボウリング選手)

平成7年度高等部専攻科修了

紹介

 高木さん(旧姓枳殻さん)は、小学部6年の2学期から高等部専攻科理療科まで9年半、八王子盲学校で学びました。現在は、バークレイズ証券株式会社という外資系金融・証券会社の人事部で働きながら、ブラインドボウリングの選手として活躍中です。

メッセージ

 子供の頃から運動が大好きだった私は、高校1年生の時から15年以上フロアバレーボールをしていました。そんなスポーツ大好きな私がブラインドボウリングと出会ったのは、2008年でした。友人に体験会に行ってみようと誘われたことがきっかけでした。
 学生の頃に友達とボウリングをした事はありましたが、周りの音がうるさくて何も聞こえず、床やガターを触ってから恐る恐るボールを投げてもガターばかり。点数は一桁と、ボウリングに対する印象はとても悪く、面白いと思った事はありませんでした。でもこの体験会に行って丁寧に教えていただいたことで、すぐに楽しいスポーツとなりました。
 ブラインドボウリングは、一般のボウリング場で行います。ガターもあります。違う所は、アプローチ上に「ガイドレール」という手すりを置くこと、「ピンスポッター」から視覚情報を得られることの二つです。
 ガイドレールとは、長さ3.7mほどの手すりです。ボールを持つ手とは反対側の手で触れ、助走や投球の方向を確認するために用います。ピンスポッターとは、見えない私たちの目のサポートをしてくださる人です。投げたボールの軌道や、残ったピンの番号等を説明してもらいます。
 これら二つの配慮により、視覚障がい者も見える人と同様にボウリングを楽しむことができます。
 ピンスポッターから得た情報を元に、自分で立ち位置を考え、1投ずつ投げる。イメージした通りに体が動き、ボールが転がり、ストライクやスペアの音を聞いた時の感動は何とも言えません。現在は、週4回以上ボウリング場に通い、練習を重ねています。
 ボウリングを始めて9年が経ち、たくさんの国内大会、また日本代表として国際大会に出場してきました。
 2016年8月にポーランドで行われた、IBSA(国際視覚障害者スポーツ連盟)テンピンボウリングシングルス世界選手権大会では、B1女子第2位の成績をおさめました。また、10月に東京で行われた、第15回全日本視覚障害者ボウリング選手権大会では、個人戦第3位、ダブルス戦第3位、個人総合戦第1位、ハイゲーム賞のバークレイズ賞を獲得することができました。
2011年からはバークレイズ証券株式会社の社員として働いています。障がい者スポーツアスリートとしてブラインドボウリングを行いながら、人事部の一員として働いています。また、社内で活動する障がい者について普及・啓蒙活動をする、ダイバーシティー委員会の運営委員としても働いています。このような障がい者雇用の形態は、まだまだ少なく難しい事は沢山ありますが、恵まれた環境の中、充実した毎日を過ごしています。
 私たち障がい者は配慮や支援があれば、いろいろなスポーツにチャレンジすることができます。ガイドレールを保管してくれるボウリング場があったり、ピンスポッターをしてくれる人がいたりすれば、ボウリングを楽しむことが可能となります。こうして私がブラインドボウリングを楽しみながら成果を出すことができているのは、一般社団法人全日本視覚障害者ボウリング協会からのサポート、ピンスポッターとしてサポートしてくださる方々や練習に付き合ってくれる仲間、障がい者スポーツアスリートとして働ける企業があっての事だと思っています。
 ブラインドボウリングを通して人と人との輪が広がり、健常者と障がい者が共に暮らす社会の実現につながるといいなと思っています。